2000年09月17日(Sun) [長年日記]
_ 水害
既に一週間近く前の話題だけど,9/11 の東海地方の大雨,被災なさった皆さんには心よりお見舞い申し上げます.
中学のときの同級生の女の子が西枇杷島に住んでて,時々メールのやり取りをしてるんだが,ちょうど大雨当日の朝にも彼女からメールが届いていた.
「朝から雨だから庭の植木が元気になってくれるかな」
みたいなことが書いてあったんだが,ご存じの通り,それどころではない状況になってしまった.
そろそろ電気も復旧しているだろうから,お見舞いのメールを出そうかと思っているのだが,パソコンも浸水して使えなくなってる可能性がある.
メール以外に連絡手段がないと,こういうときに困ったことになるというのを身をもって実感.
6月のミニクラス会の出席者名簿があれば,郵便なり電話なりで連絡が取れるし,救援物資(というのは大げさか)を送ることもできるのだが…頼むから早く名簿を送ってくれぇ > K
かく言う俺自身も,名鉄が止まっていつもの通勤経路が使えず,よせばいいのに地下鉄での帰宅を試みて酷い目に遭った.
名城線−桜通線と乗り継いで,たどり着いた先は,野並駅.
テレビのニュース映像で「名古屋市天白区」の一部としても出ていた辺りだ.
野並に着いたのはPM8:45頃だったか.
既に野並交差点付近は冠水しており,地下鉄駅へも浸水が始まっていた.階段やエスカレーターは,まるで滝のような状態.
駅構内の排水は全く追いついておらず,しかも外から流れ込んだ落ち葉等のゴミで排水口が詰まって,徐々に構内にも水が溜まり始めた.
たまたま居合わせた人達と一緒に排水口に詰まったゴミを取り除く作業をしていたが,まるで追いつかない.
気付けば,水位は膝の辺りにまで達しており,外から流れ込んだパイロンや長さ1mほどの板まで流れてくる始末.
とうとう駅員より駅からの避難指示が出た.
一人の人が足の不自由なおばあさんを背負い,自分はその人の荷物を持って,滝と化した地下鉄出口から外へ脱出.
出口の脇にあったテナントビルへ避難させてもらった.
そのビルは,野並辺りでもまだ高い場所にあったようだが,それでも一階は1〜2cmほど床上浸水していた.
ビル東側の野並交差点は股下あたり,坂を下った西側では肩を超えるあたりまで水が来ているようで,その先の交差点辺りでは車のディーラーが完全に水没していた.
東西に走る東海通は水と立ち往生した車の群れで埋まり,その一本裏の通りは完全に川と化して濁流が渦を巻いていた.
一緒に避難した人の迎えの車に便乗させてもらってAM3:00過ぎに帰宅するまでの約6時間をそのビルで過ごしたが,その途中,濁流を乗り越えて近くの吉野家*1へ食料を買出しに行ったり,二階の窓から消防署のボートが道路を進んでいくのを眺めたりと,この先忘れられそうにない経験もしたのであった.
翌9/12は出勤できず,9/13はなんとか昼近くに出勤…で,仕事はベタ遅れ.
三連休返上の上に夕べは徹夜までしたが終わりそうにない.
なので,ホントは日記を書いてる場合じゃないんだが,息抜き兼目覚ましということで…^^;;;
*1 床上浸水しながらも営業していた^^;